Profile

 アカネ

Author: アカネ
社会人6年目で会社を辞め、夫(イギリス人トライアスリート)とともに自転車で海外へ旅に出ることになった20代女性。
旅歴: 学生時代にヨーロッパを主に、バックパッカー、アパート暮らしなど、色々な種類の旅行を経験。基本ひとり旅はしない主義。

★ランキングに参加してるので、良かったかクリック(1票)お願いします by アカネ↓ ↓ ↓
にほんブログ村 旅行ブログ 世界一周(自転車)へ
にほんブログ村

スポンサー募集中!
Email: koni_coni☆yahoo.co.jp






Latest trackbacks
アクセスランキング
[ジャンルランキング]
旅行
67位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
その他
3位
アクセスランキングを見る>>
フリーエリア
77

ベトナム戦争博物館とクチの地下通路

2週間も滞在したホーチミン市も、明日出発します。明日からまた自転車移動生活に戻ります。

出発の数日前に、ホーチミンにあるベトナム戦争博物館へ行ってきました。

この発展した都会のホーチミンの街を見たり、自転車で活気ある街や村を走っていていても、ベトナムはつい最近まで戦争が起こっていたということはなかなか実感が湧かないものです。

でも、ベトナムでは1960~1975年までの約15年間も戦争があったのは事実であって、私たちの親が若かった頃に、実際にこの国の同世代の人たちは戦争の中にいました。

この戦争博物館に行って、実際に使われた武器や、戦争時の写真、戦争後に枯葉剤の影響で産まれてきた子供達の写真などの資料を見て、そのことを実感しました。

----------

戦争博物館。

入り口の外には戦争で使われた戦車や爆撃機が置かれています。



中に入ると写真資料が多く、当時他国で起こっていたベトナム戦争反対デモの写真から、実際に戦場でアメリカ軍(この博物館では主にGIと表記されている)が拷問をかけている写真や、様々な爆弾兵器によって負傷、死亡した人たちの写真など、見ているだけで涙が出そうになる写真が数多く展示されていました。





その多くは、残酷過ぎて私にはカメラに収められませんでした。

でも、ベトナム戦争ではたくさんのジャーナリストが現場に同行して残した写真が多くあります。

その中で、私が特に印象に残っているのは、ソンミ村虐殺事件のベトナム人の一般市民のお婆さんや子供の写真です。説明文を読まなければ状況がわかりませんが、この写真はこの人達に銃が向けられている際に、カメラマンが「ちょっと待ってくれ」と言って撮った写真でした。その後、カメラマンが去る時に銃声が聞こえたけれど、振り返ることはできなかったと書いてありした。

写真の中の人たちの目は、今でも忘れられません。

ソンミ村虐殺事件を代表する、無抵抗の人たちの攻撃は、のちに同行していたジャーナリストらの証言に明らかとなったそうです。

また、爆撃を背景に子供達が泣きながら逃げて行く写真や、無差別虐殺による子供達や女性の傷ついた遺体が道端に横たわっている写真など、本当に見ていて息が詰まる思いがしました。

私たちのベトナムの自転車旅行もかれこれ2ヶ月半となり、すでに多くの街を見てきましたが、そのほとんどがかつて戦場だったとは思えない程、みんな元気で活発に生活を送っていました。



でも、実際にベトナムで生活していると、足や腕のない老人を見かけることがよくあります。

一度、自転車で村を走っていたら、上半身裸で作業をしていた男性の背中に銃弾の後を見たこともありました。

また、枯葉剤(エージェント・オレンジ)の影響と思われる奇形の体を持った人たちを目にすることも多いです。
特に三、四十代の人に多いように思いますが、足や手の指が少なかったり、肩のところから手が付いている人も見かけたことがあります。
目が見えない人もいますが、彼らの多くは観光地ではブラインドマッサージ(目が見えない人によるマッサージ)の仕事をされているのをよく見かけました。

博物館にも、枯葉剤の影響で産まれてきた人たちの写真資料が多く展示されていました。

ベトちゃんドクちゃんで有名な、体が繋がった双子の子や、指がない、指から指が生えている、目が存在しないなど、多くの症状を持っていながらもしっかり今を生きている人達の写真が展示されていました。



実際は、産まれてきてもすぐに死んでしまった赤ちゃんもかなり多かったようです。

---------

ところで、戦場博物館に行く数日前に、ベトナム戦争時にVC(ベトコン)に使われていた地下通路の見学ツアーにも参加しました。

ホーチミンの街で予約して、80,000ドン(400円ちょっと)で、行き帰りのバス+ツアーガイドさん付きでした。

こういう写真がよく観光客向けのPRに使われているところです。



でも実際は、戦時中にVCの人達が戦いに使ったり、煮炊きをして生活を送っていた地下通路です。

当時のサイズは小柄なベトナム人がやっと通れる小ささの穴ですが、観光客向けにライト付きで、割と体格の良い人でもかがんで歩ける際サイズの穴もつくられていました。

当時の本物のサイズの穴は、とても小さく、這って通らないといけないほどのものでした。中はまっ暗で何も見えず、音もなく、蒸し暑くてとても過酷な環境です。

私も入って30m程度の距離を通ってみようとしましたが、狭さ、息苦しさ、暗さと音のない環境に恐怖を感じ、これはパニックアタックになると思い引き返してやめました。

一緒行ってこの通路を通り抜けた友人に聞くと、途中から全く音がなくなったと言っていました。私も、出口の穴で待っていながら、「こっちだよー」と呼びかけていたのですが、すぐそこにいるはずなのに全く聞こえなかったそうです。

こんな地下通路が、実に200キロも続いていて、カンボジアまで到達していたそうです。

因みに、観光客向けのライト付きの大きめの穴の方は私も通ってみることができました。それでもかなり圧迫感がある環境で、先を進んでいた別の観光客の何人かは若干パニックアタック状態で、「出して下さい!」と言って、引き返して来る人がいました。大き目の穴と言っても、人一人通るのがやっとですれ違えないサイズなので、その度に私たちも引き返してその人が出るのを待ってから入り直しました。

それだけ圧迫感の多い地下通路で、数年間住み続けた人たちもいるのです。

地下通路の酸素がなくなるといけないので、特別な植物の油脂を燃やして灯をともしたり、煮炊きする煙が外に漏れてGIの犬に嗅ぎつけられてはいけないので、煙突にスパイスをまいて誤魔化したり、GIの軍服を近くに置いたりと、工夫などについてもガイドさんが説明してくれました。

また、ベトナム戦争の映画でもよく出てくる落とし穴などの罠も見学しました。


※友人提供写真

罠にはまって足に矢が刺さった場合、生き延びる手段としては足を自ら切り落とす他なかったと言います。

ツアーの最後に、ドキュメンタリービデオを見て、終わりました。


戦争博物館もクチの地下通路トンネルツアーの参加も、歴史として聞いていた「ベトナム戦争」本当に起こったこととして自分の中で感じさせる貴重な体験でした。

自転車でこれまで通ったところで出会った人たち、子供達の親もベトナム戦争の中にいたのだろうと思うと、みんなとても前向きに今を生きていると非常に感じます。
0

Comment

Comment Form

Comment Form
Only the blog author may view the comment.
0

Trackback

Trackback URL

Search form
QR code
QR
Return to Pagetop