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 アカネ

Author: アカネ
社会人6年目で会社を辞め、夫(イギリス人トライアスリート)とともに自転車で海外へ旅に出ることになった20代女性。
旅歴: 学生時代にヨーロッパを主に、バックパッカー、アパート暮らしなど、色々な種類の旅行を経験。基本ひとり旅はしない主義。

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トゥール・スレン(Tuol Sleng) 虐殺博物館(通称S21)を訪れて

トゥール・スレン(通称S21)をご存じでしょうか。

プノンペンに来たら、私はここに行くと決めていました。でもここに行く数日前から心の準備ができず、色々と考えていました。

今日ここに行ってきた後も、こんなこと二度とあってはいけない、みんな明らかに間違ったことを集団心理で流されてはいけないと強く思うけれど、そんな単純な意見だけでは考えがまとまらない。
でも、同じ人間がしたこととして、知る義務があると思うので、ここに書きたいと思います。


◼︎トゥール・スレン虐殺博物館について

詳細はWikipediaリンクを。

・1976年頃からポル・ポト政権(クメール・ルージュ)下において政治犯収容所として使用された場所
・ここで行われていたことは国内国外限らず秘密であり、場所の呼び名に暗号のS21が使われた
・元々高校だった建物を「革命に学問は不要」というポル・ポトの考えにより収容所として使用された
・囚人は拷問・処刑され(拷問の苦しみから逃れるために嘘の自白をするしかなかった)、生きては帰れない場所であった
・2年9ヶ月の間に14,000~20,000人の人々が処刑された
・男性女性、少年少女、老人関係なく処刑された
・生き残った人はたったの8人のみ
・唯一生き残った人達の中には、機械を修理できる人や肖像画(幹部達の)を描くのがうまかった人、子供がいた
・1979年1月、ベトナム軍プノンペン制圧によりトゥールスレンが発見された
・トゥール・スレンでの出来事が公になった後もポル・ポトやその他幹部のイエン・サリ、タ・モク、キュー・サムファンは「拷問しろなどと命令した覚えはない」「トゥール・スレンなど私は知らない」と弁解している

ポルポト政権後は14歳以下の年齢の国民が85%程を占めていたと言います。
現在でも、30歳以上の人口の割合が非常に少ない。


※グラフは上記Wikipediaより

----------

ここからは、今日、実際に行ってきた写真です。

博物館の入り口。


プノンペンの街の中に、突然あります。

大きな学校だったんだと思う。A棟からC棟と呼ばれる3階建ての建物があります。

左にある木製アーチで、逆さに吊るして水に漬けるという拷問が行われていた。


建物の床の至る所に血の後が残っている。本当に、至る所に。


収容者に与えられた規則。1番右側が英語、日本語は上記Wikipediaリンクを。


こんなのが規則だったらCIAやベトナムのスパイだと言うしかない。
正義のかけらもないと、読んでるだけで怒りが湧いてくる。

収容されていた人達の写真の一部。
男性女性、少年少女、老人など関係なかった。疑われた人達は片っ端から連れて来られた。

学のありそうな者(医者や教師など、それから眼鏡をかけている、文字が読める人も)は一番の標的となった。
当時の政府関係者や、その妻子も。


拷問によってスパイの仲間(そもそもスパイでないのに)の名前をあげさせられ、その人達も犠牲になった。(苦痛から逃れるのに何か言うしかなかった。)


みんな何もしていないのに処刑された。


生き残った人達はたったの8人。ここにある写真の人達はみんな虐殺されてしまったということ。
写真の中の人たちの目を見ていると、涙が出そうになる。悲しいとか、恐怖とか怒りとか、それだけじゃ説明できない気持ちになる。

自分はスパイだったという嘘の自白文章。英語にも翻訳されています。


拷問の苦しみから逃れるために、書くしかなかったことが伝わってくる。


独房のある建物有刺鉄線で囲われている。


独房は煉瓦で壁がつくられたもの、


木造のものがある。


看守だった人達の写真と言葉も展示されている。


看守達も、絶対秘密のS21を口外してはならないため、常に危険にさらされていた。のちに、多くに看守だった人達も口封じの為か、処刑されたという。

下記、Wikipediaからの参照:
「一度収容された囚人は有罪と決まっている→拷問し処刑する→S21の拷問と虐殺の実態が外部に漏れぬようにするため、ますます囚人を何が何でも有罪にして処刑しなければならない→さらに拷問が激化する」

正義のない、悪循環に陥っていた。

ナチス政権にも通じるけど、ポルポトのように指導者1人から、こんなに明らかに間違ったことがまかり通る自体に陥る可能性を人間という生き物が持っていることを怖いと感じる。

集団心理、洗脳、非個人化。

看守は今になって、本当はやりたくなかったと言っているけど、なぜその時NOと言わなかったのか?
そんな簡単な質問には意味がないかもしれないと思う。
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